〔9〕
「ど・・・どういうコトよ?」
この状況に、その台詞に、ただひたすら混乱して、あたしはまるで子供が我侭を言っているみたいに
必死で声を張り上げることしか出来なかった。
「あたし達が忍を・・・殺すなんて、そんなことあるわけないじゃない・・・!それにっ・・・アンタ、自分を
忍って言うけど・・・そうやって・・・顔とか忍の振りしてっ・・・一体何者なのさ!?」
ほんの数瞬の間を置いて、『忍』は表情を変えることなくゆっくりと繰り返した。
「俺は藤原忍だ。」
そして、静かに唇を歪め「・・・たった一年でもう俺のことを忘れちまったのか?女ってのは、薄情なもんだな」
と笑ったようだった。
「俺は、おまえのことを忘れた日は一日たりともなかったっていうのによ・・・」
薄暗い街灯に照らされた表情はより一層昏く、その声は囁くように低いけれど鋭く耳に刺さる。
「・・・なぁ?・・・沙羅・・・」
あたしの名を呼んだ瞬間、彼の全身から凄まじい『殺気』が噴出し、あたしの背筋は一瞬にして凍りついた。
しかし、そのお陰で、混乱して手放しかけていた闘争本能と防衛本能が躰の中に引き戻される。
――ヤラナキャ、ヤラレル
そう感じた、まさにその瞬間。そいつは一気に間合いを狭め、右腕をあたし目掛けて振り下ろす。
寸でのところで身を捻ってそれを交わし、後ろに仰け反りながらも左足を蹴り上げるが、
ひらりと余裕でかわされる。
「!?」
振り上げた足に体勢を戻すのが一瞬遅れ、その隙をついて『忍』はあたしのみぞおちへ再度
手加減の無い拳を沈めた。
先刻とは違い、避ける間もなく正面からまともにそれを喰らった。
―――ッ・・・!!!
その瞬間、凄まじい衝撃に息は詰まり、目の前が真っ暗になる。
立っていられなくて崩れ落ちようとするあたしの首を『忍』は両手で捉えて力を込める。
「!!」
あたしは自分の躰から逃げていきそうになる意識を必死で呼び起こし、その両手を掴んで
払い除けようとするが、ただ爪で手の甲を引っ掻くだけで全く太刀打ちが出来ない。
『忍』はその痛みも感じないのか、昏い笑いを唇の端に浮かべたまま、冷たい両手にじわりと力を加えていく。
――あんたは、本当は誰なのさ?
息が奪われ霞んでいく瞳を必死に見開いて目の前の男を見る。
記憶の中の忍と、寸分違わぬ姿がそこにはある。
でも、あたしの名を呼んだ声は抑揚のない刺すような響きで、見詰める瞳は感情を映さず冷たく光り、
首に掛かる掌は驚くほど冷たい。
全てがあたしの知っている忍とは正反対な、似ても似つかないものだ。
この一年、あたしは・・・忍、アンタの面影を追い続けて来た。
ほんの一筋の光明さえも見出せない状況の中で、たった一度だけでもいい、あんたに逢いたいと願い続けてきたのに・・・
「し・・・のぶ・・・」
薄れ行く意識から漏れた言葉は声になったか、ならないか。
見えなくても必死に見開こうとする瞳から涙が止め処なく流れ出してくる。
ほんの一瞬、手の力が緩んだような気がしたが、その両手には更なる力が加えられた。
あたしの意識が細い糸のようになって途切れそうになったとき、鋭い舌打ちの音がしたかと思うと、
その途端、固く冷たい道路へ躰を打ち捨てられていた。
そして、次の瞬間には音も無く『忍』の気配は消えていた。
とりあえず助かったということに安堵する余裕も無く、必死で躰を起そうとするが全身に力が入らず、
その場に崩れ落ちたまま動けない。
コツコツコツ・・・
間を置かずに足音が近づいて来た。
・・・そうか・・・人の気配を察して逃げていったんだ・・・
「だ・・・・大丈夫ですか!?」
慌てふためいた男の声が響き、側へ駆け寄ってきた。
あたしはオロオロしている男のズボンの裾を捉えて、必死に声を振り絞る。
「じ・・・獣戦機隊へ・・・・」
そこであたしの意識は途切れた。
ふと気付くと、灰色の無機質な天井が目に飛び込んできた。
「・・・?」
瞬間、自分が何処にいるのか全く理解できなかったが、周囲の景色―・・・白い壁に消毒の臭い、
そして自分が寝かされているパイプベッドで病院だと解った。
腕には点滴の針が付けられている。
「沙羅・・・?気がついたの?」
声の方を向くと、ダニエラが花瓶を抱えて病室に入ってきたところだった。
「よかった・・・なかなか目を醒まさないから心配したのよ」
ダニエラは慌てる様子でもなく、窓際に花瓶を置くとベッドサイドの椅子に腰掛ける。
「ここは隊の付属病院よ。沙羅、あなたは二日間意識がなかったの」
尋ねる前にあたしが置かれている状況を説明して、落ち着かせてくれようとしている。
「一昨日の深夜、路上で倒れている所を通行人に助けられてここに運んでって言ったの・・・覚えてる?」
―・・・そうだ、あたし・・・。
『忍』に殺されかけたんだ・・・
あたしは枕に頭を預けたままゆっくりと頷く。
ダニエラはあたしの意識がしっかりしているのに安心したのか、ホッとした顔をして
「よかった・・・無事で本当によかったわ・・・」と少し目を潤ませたようだ。
「細かいお話は後で・・・まずはお医者様をお呼びしなきゃね」
椅子を立ち、ドアの横に据付けられているインタフォンでナースセンターへ連絡すると、
程なくしてナースを一人引き連れて中年のドクターがやってきた。
聴診器をあてたり体温を測ったり、一通りのことを済ます。
「どこか痛いところなどはありませんか?」
「特には・・・」
「そうですか。」ドクターは少し言い澱むと「・・・首や腹部は?」
「・・・え・・・?」
その言葉に初めてその部分を意識した。
殴られて首を絞められたこと・・・殺されかけたことは全て記憶にあるのに、
自分の躰におこったことだという実感が湧いていなかった。
ドクターに言われて初めて首とみぞおちに鈍い痛みが残っているのを感じた。
そっと首に手をやると布の感触が指から伝わってくる。
「グッ・・・ゴホッ・・・」
その途端、嘔吐感が込み上げてきて咽返る。
ナースが手近にあったタオルを口元に差し出し、背中を摩ってくれた。
「大丈夫ですか?」
「だ・・・大丈夫・・・」
逆流してきた胃液の嫌な苦さが口中に広がり、あたしは眉を顰める。
その様子を気の毒そうに見ていたドクターは「首と腹部の違和感は暫く残るでしょうが、
骨やその他の臓器にも異常はありませんでしたから、それほど心配することもないでしょう。
痣も10日もすれば消えると思いますよ」と言葉を残して病室を出て行った。
「凄い痣になってる・・・・」
あたしは身に着けていたパジャマ――ダニエラが用意してくれたのだろう――の前をほどいて、
ドクターが言っていたみぞおちの痣を確認する。
まさに拳大の痣が、赤黒く浮かんでいる。
「ダニエラ、何でもいいわ。鏡を貸してくれる?」
「沙羅・・・・」
ダニエラが気の毒そうな顔をして、バッグからコンパクトを取り出して差し出す。
「ありがとう」
ゆっくりと首の包帯を解くと、そこには手の・・・指一本一本の跡がくっきりと残っていた。
「―――!」
その生々しさにダニエラが息を呑む。
・・・・やっぱりアイツは本気であたしを殺そうとしていたんだ・・・。
首に残された跡を見て、その『殺意』の確かさを再認識した。
そして、同時に湧き上がってくる様々な疑問が頭の中を目まぐるしく駆け巡っていく。
あれは本物の忍なのだろうか?
もしそうであるなら、あの事故からどうやって生き延びたのか。
生きているなら、何故今まで姿を現さなかったのか。
本物の忍だというなら、どうしてあたしを殺そうとしたのか。
そして、『お前達にに殺された』という不可解な言葉の意味は?
一体、何がどうなっているのか・・・
「ああっ!!もうワケ分んないわよっ!!!」
思わず声に出して叫んだ拍子に、咽と腹に鈍い痛みが走った。
【10】へ
2005.1.30 up