〔7〕
それから3日後の昼過ぎ、あたしは雅人へ会うために式部重工本社へ足を運んでいた。
「沙羅、久しぶりだね。あ、座ってよ」
社長室に通されたあたしは、雅人の言葉に革張りでスプリングの効いたソファへ腰を下ろす。。
「飲み物を・・・そうだね、紅茶を貰おうか。よろしくね」
インターフォンで秘書に依頼する口調は落ち着いたもので、雅人がトップに立つ人間だと
いうことを認識させる。
「社長業も板についてきたじゃない」
「え〜?そうかなあ。もう、忙しくってさ〜。今日も折角来てくれたのに、30分しか時間が取れ
なくてごめんよ。ホント、やんなっちゃうよ」
ブツブツ言いながら、あたしの向側に腰を下ろした雅人の表情は昔のままだ。
あの事故で雅人が受けた心の傷がようやく癒えてきたのだと、改めて胸を撫で下ろす。
そして、秘書と思しきかわいらしい女の子があたしの前にカップを置くと、静かに一礼して部屋を出て行った。
「ゆきちゃん、ありがとね〜。さ、飲んでよ」
雅人はカップを持ち上げて一口紅茶を啜り、「・・・・で、何?亮が襲われた訳を考えてるの?」言いたい
事は解ってるよ、という表情をする。
「ああ。亮は肝心なことを何も話してくれないからね。何かそれらしい話とか聞いてないかい?」
「僕さ、時間がなくてまだお見舞いにも行ってないんだ。亮が入院したって聞いたのも、ダニエラからの
伝言があったのを聞いただけで、直接話も聞けてないんだ。」
僕の方が話を聞きたいくらいさ、と雅人は心配そうな表情で続けた。
「亮の感じだと、個人的な絡みの相手では無さそうなのよね」
「・・・獣戦機隊の司馬亮として狙われたってことかなあ・・・。」
「それに、亮は何か隠してるような様子でさ。・・・こう、奥歯にモノが挟まったような、アイツにしては
煮え切らない態度なんだよ・・・。」
「う〜ん、さしあたって、僕のところに不穏な情報は入ってないけど・・・。」
軍事産業を手掛ける式部重工はあらゆる情報を網羅しようと、情報の収集には力を注いでいるようで、雅人の持つ
情報の幅は驚くほど広く細部にまで渡っている。
「そう・・・。とにかく、アンタも気をつけな。・・・アンタの場合は獣戦機隊としてだけじゃなく、式部重工のトップ
として狙われる可能性もあるしね」
あたしは紅茶を飲み干すとテーブルにカップを戻す。
「やだなあ、沙羅。脅かさないでよぉ」
「・・・ローラを悲しませるコトにならないように、せいぜい気をつけなよ。」
「沙羅・・・」
あたしと忍の関係を薄々気が付いている雅人は、手元のカップに目線を落とした。
「・・・何か解ったら教えて。あたしなりにいろいろ探ってみるよ。それじゃ、邪魔したね。」
しまったな・・・。漸く笑えるようになった雅人に余計なことを思い出させる必要はないのに。
あたしは自分が何気なく発した言葉を少し後悔して、重くなりそうな空気を振り払うように立ち上がった。
「あ、うん。沙羅も気をつけてよ?」
「アンタみたいに呑気じゃないからね」
「もう、バカにしないでくれる?そうだ、葉月博士にも、一応話しておくよ」
「ああ。身内がやられて警護は厳しくなってるはずだから、その辺は心配ないだろうけどね。何か情報を集められたら頼むよ」
「了解!沙羅もこれから仕事だろ?お互い頑張ろうね。じゃあね〜」
雅人に見送られてエレベーターに乗り込む。
自分自身にもさしあたって思い当たる状況はないし、雅人も何もそれらしいことは聞いていないという。
何に対して警戒すべきなのか、漠然としたものでしかない。
それなのに、ますます深まっていくこの警戒心。
あたしの細胞全てがほんの少しの変化も見逃すまいと、外界に向かってアンテナを張り巡らしているようだ。
「・・・・どちらにしても、相手が動いてくれないことには何ともならないか・・・」
その夜、仕事を終えたあたしは忍のマンションを訪れた。
結局、この部屋を・・・アイツが居た証を片付けるなんてことは出来やしなくて、この一年間、何かある度にここで
過ごすことが習慣のようになっている。
仕事で行き詰った時、腹立たしい時。そして、忍に逢いたくて・・・寂しくて仕方が無い時にはその香りがするこの部屋で、
アイツを感じたくて時を過ごしていた。
この部屋の空気は、そう、忍がここに居た時のままで止まっていてあたしをひどく喜ばせるのだ。
ほら、やっぱり忍はここに居るじゃないか、と。
しかし、その次の瞬間にあたしは現実に気が付いてそれまで以上の虚無感に苛まれる。
こんなことを繰り返しながらも、あたしはこの部屋へ来ることを止められずにいた。
「ふう・・・。今日も疲れたな・・・」
あたしはベランダへ通じる窓を開けて吹き込んでくる風を全身に浴びると、ソファへ全身を投げ出す。
緩やかな風にカーテンがさわさわと揺れ、その細い隙間からは空の闇がちらちらと見え隠れする。
その暗い空にあの日のことをまた思い返しそうになって、慌ててあたしは目を閉じた。
・・・どれくらい経っただろうか。
頬に微かな風を感じて意識を醒ました。
そういえば、窓開けっ放しだ・・・。
思い出して徐に瞳を開く。
次の瞬間、カーテンの隙間からベランダに立つ人影が視界に飛び込んできた。
誰かが、いる・・・。
男であると察しはついたが、背後の闇夜よりも更に暗い影としか目には映らない。
全身に緊張が走る。もし、亮をあんな目に合わせたヤツだったら、あたしがまともに戦って勝てる相手ではない。
しかし、幸いなことに相手はすぐに襲い掛かってくるつもりは無いらしく、部屋の中の様子を窺っているようだ。
あたしは横になった姿勢のまま、アイツが襲い掛かってきた時の対抗手段を懸命に考えていた。
小銃を忍ばせてあるハンドバックが、このソファの足元に置かれてはいる。
しかし、それを取り出そうと動いた瞬間に相手は攻撃を仕掛けてくるだろう。
思い切ってこちらから仕掛けてみるか・・・それともこのままでいればやり過ごせるだろうか?
判断に苦しんだ、まさにその時。一陣の風が大きくカーテンを巻き上げた。
――今だ!
その瞬間にハンドバッグから銃を取り出し、床に膝をついた姿勢で銃口を相手に向ける。
「動くな!!」
風に煽られたカーテンがゆっくりと降りていく。
巻き上げられた勢いのせいか、カーテンは半分程開いた状態になって止まった。
そして、部屋の明かりがベランダに立つ人物の全身を映し出す。
「―――・・・!」
あたしは目の前に現れたその光景を飲みこむことが出来なかった。
黒い髪、鋭い眼光、均整の取れた体躯。
その姿は背後の闇に浮かび上がって、あたしに圧倒的な存在感を見せつける。
「・・・・し・・・・しのぶ・・・」
目の前に立ち竦んでいるのは、間違いなく忍の姿。
二度と見ることは出来ないと思っていた姿。
漸くその光景があたしの思考回路に繋がった時、カーテンが再び風で巻上げられ、元の位置に戻った
時にはその姿は既に無かった。
我に返ったあたしは慌ててベランダへ駆け寄り、手すりから身を乗り出して地上を確認した。
しかし、最初から人などここには居なかったかのように辺りには静けさが横たわっているだけだった。
・・・今のは、幻・・・?
忍のはずが無い。アイツは、そう。一年前に・・・死んだはずだ・・・。
俄かには信じ難い光景に、終にあたしもここまできちまったかと自分を誤魔化そうとするが、
目の前に現れたあの姿をそんな理由で思考から振り切ることは出来なかった。
忍の姿を騙っている「誰か」なのか、それとも本当の・・・・忍なのか―――・・・。
忍の姿を騙っている者がいるとすれば、その目的は一体何なのか?
やはり亮の襲撃と関係はあるのだろうか?
そして・・・もし・・・もし、あれが本物の忍だとすると・・・
あの事故でどうやって助かったのか?
この一年何処にいたのだろうか?
そして―――なぜあたしの前にすら現れなかったのだろうか。
あたしは混乱する思考を持て余し、まんじりともできぬままに朝を迎えていた。
【8】へ
2004.4.20 up