[2]
ふと目を醒ますと、夢うつつに感じていた温もりが消えている。
途端に不安になって慌てて辺りを見回すと、テラスに繋がる窓が開いていて、
風が吹き込んできている。
手近なものを羽織ってテラスに出ると、デッキチェアに深く腰掛け、ビールを片手に
暁闇の海を見つめている忍が居た。
「どうかしたか?」
あたしの気配に気がついて忍が振り返った。
「ううん。なんとなく目が覚めただけ。・・・あんたは、眠らないの?」
「こっちに来いよ」
忍はそれに答えず曖昧な笑みを浮かべると、傍らに立ったあたしを抱き寄せ、
膝の上に座らせる。
そして、唇を重ねると、あたしを見据えて言った。
「俺はお前を置いてどこにも行かないし、たとえ行ったとしても、必ずお前の元へ帰ってくる」
「どうしたのさ、突然・・・。」
忍の真剣な眼差しでの突然の言葉に、戸惑いを隠せない。
「これだけはオマエに言っておかねえと、と思ってさ・・・」
「忍・・・」
口には出さないけれど、何を指しているのかはすぐわかった。
あたしを置いて行ってしまったあの男のこと。
そいつと俺は違う、と言っている。
そんなこと、言わなくてもよくわかってるよ、忍。
「ばかだね、そんなこといちいち言ってさ」
「なんだよ?バカで悪かったな」
忍はちょっと拗ねて、あたしから顔を逸らす。
『必ずおまえの元へ帰ってくる』
わかってるよ。あんたは絶対にあたしの元へ戻ってきてくれる。
でも、忍。あたしは大人しく待ってるような女じゃないよ。
解ってるくせに。
「忍、あたしが待ってるとでも思ってるの?」
忍は少し怪訝な表情であたしに向き直る。
「――あんたには、あたしが必要なはずよ?置いて行けっこないわよ」
あたしが自信たっぷりに言うと、「オマエねえ・・・」忍は二の句を失った様子だ。
「もし、また何かあれば――・・・死ぬときは一緒だろ?」
「沙羅・・・。」
「・・・なんてったって、合体してるからねえ。頭がやられてるのに、両足と胴体が
無事ってことはまずないだろうからさぁ」と、あたしが茶化す。
「な、なんだよ?ダンクーガのことかよ?」
「他に何があるってのさ。そ。もれなく、亮と雅人もついてくるわよ♪」
「ちえっ。気の利かないヤツラだぜ」
そうして、二人で顔をつき合わせて笑う。
「ね、忍。見て・・・。」
徐々に、色彩を帯びてくる空。
「夜明けか・・・」
清らかな朝の陽の光がやわらかく辺りを照らし、其々の姿を光で包んでいく。
「きれいね・・・。」
「ああ・・・」
忍があたしの頬に手を副える。
「あ・・・」
陽の光に全てが曝け出されてしまうようで、何だかものすごく気恥ずかしくなり、
忍から目を逸らす。
「なんだよ?」
「いや、なんかさ・・・・」
恥ずかしくて。その言葉すらも気恥ずかしくて言えない。
「ばーか、なにいまさら照れてんだよ?」
そう言いながらも赤い顔をしている忍は、あたしをその腕の中に包み込んだ。
ホテルを出た後、あたしたちはその近くの海辺を散歩したり、海岸道路沿いの店を覘いたり
して時間を過ごした。
これまでだって、こうして二人で出歩いたこともあったけれど、今日はくすぐったいような、
変な気分だ。
並んで歩く二人の間の距離も、これまでと変わらない。
いつもより、交わされる会話の数が少ないような気がする。
けれど、ふとした時、まるで申し合わせたかのように、あたしと忍の視線が重なる。
忍はあたしの視線を真直ぐに受け止めて、微笑む。
あたしもきっと、視線が重なった瞬間には微笑んでいるのだろう。
たったそれだけのことが、今までどうしてできなかったのか。
・・・・なんか、もったいないことしてたね・・・。でも、これからは・・・。
少し後悔するような、それでいて、はじけるような幸福感をあたしは噛締めていた。
「出発は確か――・・・」
「十日後だよ。・・・それまでは寝る暇もありゃしないよ。・・・昨日今日と休んじまったしさ」
マンションの前、忍はバイクを止めてあたしを降ろした。
ツーリングを兼ねて遠回りして戻ってきたので、既に夜になっている。
「そっか・・・。帰ってくるのはいつなんだ?」
「七月の終わりごろかな・・・。」
若手のデザイナーだけで構成するイベントに、あたしも参加することになっていて、
約2ヶ月間で4カ所ほどショウのために海外の都市を回らなくてはいけない。
なかなかのハードスケジュールで、その準備にここのところ大童しているのだ。
「じゃあ、これで帰ってくるまでは会えねえな。俺も、例の戦闘機のテストパイロットに
指名されちまってさ。俺自身の飛行データとか新しく取り直すんだとよ。それに付き合わねえとな。」
「例のって・・・ああ、雅人のトコロ・・・式部重工と軍が共同開発してるってヤツ?」
「そ。えらく張り切ってるぜ。葉月博士も雅人も」
「そっか。雅人にはしばらく会ってないな。帰ってきたら飲みに行こうって言っといてよ」
「ああ。・・・・じゃあ、気を付けて行って来いよ。生水飲んでハラこわすなよ」
「バカ。あんたじゃあるまいし。・・・行く前に一度電話するよ。」
そうは言ったものの、なかなかその場所から離れられない。
それは忍も同じようで、バイクに乗ろうとはしない。
二人とも、なんとなくその場で立ちすくんでいる。
最初に口火を切ったのは忍で、
「・・・なんだよ、部屋に帰れよ」
「忍こそ。とっとと行けば」
・・・離れたくない。
そんな言葉が頭を過ぎった瞬間、忍があたしを抱き寄せる。
「え、ちょっと・・・」
マンションの前だっていうのに・・・。
抵抗する隙を与えず、忍は強引に唇を重ねる。
深く、激しく、それでいて優しい。
徐々に体の力が抜け、あたしはすべてを忍に委ねた。
どれくらい口付けを交わしていたのか・・・。忍の唇があたしから離れる。
「忍・・・・。」
「・・・・そんな顔されると・・・堪んねえけど・・・。お前も明日からまた忙しいしな。今日も
徹夜ってワケにはいかねえだろ?続きは二ヵ月後ってことで」
照れ隠しなのか、忍は顔を赤らめながら大げさに笑う。
「バカヤロウ!とっとと帰りな!」あたしは思い切りそっぽを向く。
「行く前に連絡してくれ。見送りには行けねえけどよ。・・・じゃあな」
感慨を振り切るかのように、バイクのエンジンを思い切りふかして忍は勢い良く走り去っていった。
そして、バイクのテールランプが見えなくなるまで、あたしはその姿を見つめ続けていた。
【3】へ