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「おっせえなあ、アイツ・・・。一体何やってんだ?」

藤原忍は映画館の入り口の横で、壁に凭れながらため息をついた。

金曜日の夜、人々は楽しげに忍の目の前を通り過ぎていく。

レイトショウを見ようと、待ち合わせの時間から一時間近く経ち、約束の相手が現れないまま
映画の始まる時間はとっくに過ぎてしまっていた。

携帯にメールのひとつもこなければ、電話をかけても電源が入れられていないようで、
留守電の案内に切り替わってしまう。

もしかして、事故かなんか・・・?まさかな、アイツに限ってそんなはずは・・・。

・・・はぁ・・・。

いろいろと思いを巡らせながら、再び深いため息をつく。

ジャケットのポケットから、小さな箱を取り出し、忍はそれをしばしの間眺めていた。

それは手のひらに収まる程の大きさで、きれいにラッピングされている。

忍が所在なさげに道路を眺めていると、一見して高級スポーツカーとわかる車が斜向かいの
歩道脇へ止まった。

へえ、いい車じゃん。どんな野郎が乗ってるんだか・・・。

忍が感心して眺めていると、その助手席から降りてきたのは見覚えのある赤い髪の女、まさに忍が
待ち続けていた結城沙羅だった。

沙羅は運転手席側にまわり込み何かを話しているようだ。左ハンドルの車らしく、忍側から運転手は見えない。

忍が見たことのないような柔らかな沙羅の笑顔が、車の屋根に見え隠れする。

グォン・・・

爆裂音がして車が走り去ると、道路を小走りに沙羅が渡ってきた。

「ごめんごめん、ずいぶん待たせちまったね。もう映画始まってるよね?」

駆け寄ってきた沙羅は忍を見上げる。

その沙羅の視線をはずして、「・・・おせぇよ。おまえさぁ、遅れるなら遅れるでメールでも何でも
連絡くらいよこせよな。携帯も通じやしねえし」忍は苛立つ感情を顕にして言った。

「だから悪かったって。夕方になってから仕事でトラブっちまってさ、大変だったんだから。
携帯も電話かけまくってたら充電無くなっちゃったのよ」

「へっ、どうだかね。」

「ちょっと、どういう意味よ。悪かったって謝ってんじゃないのさ」

忍の険のある物言いに、沙羅が反応する。

「先にデートでも何でも約束があるならあるってひとこと言ってくれりゃあ、今日誘わなかったのによ。」

「デートぉ?何のことよ?」

思わぬ忍の台詞に沙羅はきょとんとしている。

「さっき、車で送ってもらったじゃんかよ。あの、すげえ外車で。」

「え?何言ってんのよ?あれは――」

沙羅は言葉を飲み込むと「もしかして忍、妬いてんの?」上目遣いでからかうように言った。

「なっ・・・誰が!!てめえ!自分が遅れてきたことを棚に上げて、ふざけたこと言うなよ!」

忍は狼狽しながら必死に否定する。

「だから、悪かったってさっきから謝ってんじゃないのさ!それをアンタが難癖つけてワケの分んない事
言ってるからでしょ!?」

忍の態度に沙羅も苛立ってきたようで、口調が荒くなっている。

「謝りゃなんでもいいってのかよ?わかったよ!今日は邪魔して悪かったな!じゃあな!」

そう言い放つと、沙羅に背を向けて早足で歩き始めた。

「な・・・、なによ!自分から誘ったくせにワケのわかんないことで拗ねちゃってさ!この、唐変木!!」

周りの通行人を気にもせず、沙羅も負けじとその背中に罵声を浴びせかけた。

聞こえているのかいないのか、忍の後姿は人ごみに紛れながら小さくなっていく。

「なに考えてんのよ・・・。ホントに馬鹿なんだから・・・」

その後姿を見送りながら、沙羅は表情を曇らせ呟いた。


やりきれなさと腹立たしさを抱えたまま、忍は夜の繁華街を早足で突き進んでいく。

どれくらい歩いただろうか。既に日付が変わろうとしている時間にも拘らず、夜の街は人で
溢れかえって賑やかだった。

今日はアイツと映画でも見て、気が向けば酒でも飲んで帰ろうかと思ってたけどよ・・・。

全てダメになってしまった。いや、自分がダメにしてしまった。

―――アイツ、あんな顔して笑うんだな・・・。

沙羅が車から降りて運転手と話している時の表情を思い返して、忍は自分自身に問いかけた。

俺と話す時、アイツはいつもどんな顔してたっけ・・・?

忍の脳裏に思い浮かぶのは、沙羅の怒っている表情ばかりだ。

・・・顔をあわせりゃ、結局は喧嘩だもんな・・・。

・・・そうだよ、俺が見当違いなやきもちやいてんだよ。

沙羅が言っていたことに嘘は無いはずだと頭では理解してはいるが、一度ひねくれてしまった気持ちは簡単に
素直になってはくれない。

つまらない嫉妬心から、結局喧嘩になってしまった。

・・・どうして俺はいつも素直になれないんだろうか?

難しいことではないはずなのに、いつも後悔ばかりだ。

ジャケットのポケットへ無造作に手を突っ込むと、先ほどの箱を取り出してしばし見つめた。

それは、忍が沙羅の誕生日プレゼントにと待ち合わせの前に購入したピアスだった。

実際の誕生日は少し先の日になるが、いつも忙しくしている沙羅のことだ、その日に会えるとは限らないし、
既に――他の誘いに乗ってしまっているかも知れない。

そう考えて、会える日に渡しておこうと忍は思い立ったのだった。

贈るものは決めていた。髪の色よりも深い色をした貴石の、ごくシンプルなもの。

余計な飾りはアイツには似合わない。

そう思って売り場を覗いたが、何が良いものなのかさっぱり解らず、あまたある商品の前で少々気恥ずかしい
思いをしながら悩んでいると、店員が話しかけてきて妙にあせってしまったことを忍は思い出した。

「くそっ!」

忍は振り返ると、人を掻き分けながら今歩いてきた道を駆け戻っていった。



 

 

 

忍が辿り着いた頃には映画館の灯りは消えていて、辺りは薄暗く人通りも疎らになっていた。

呼吸を整えながら周囲を見回す。

数人、サラリーマンらしい酔っ払いが歩いているだけだ。

忍は大きなため息を漏らす。

「・・・だよな、居るわきゃねえよな・・・」

自嘲気味に呟きをもらし、踵を返そうとした瞬間、「忍・・・?」背後から名前を呼ばれた。

慌てて振り返ると、ガードレールに腰掛けている沙羅の姿が車のヘッドライトに照らされて浮かび上がった。

「沙羅、オマエ・・・ずっとここに居たのか・・・?」

「・・・そうよ。悪い?」

信じられないと言った様子で問いかける忍に、沙羅はつっけんどんに答えた。

「別に悪いなんて言ってねえだろう・・・」

いつもの癖で反射的に語調を荒げかけて、忍はあわてて言葉を飲み込む。

もしかして、戻ってくるかどうかもわからねえ俺を、待っていてくれたのか・・・?

ふん、と沙羅はガードレールに腰掛けたままそっぽを向く。

薄暗い街に、沙羅の横顔はまるで月のように美しく浮かび上がって見えた。

「・・・さっきは・・・、悪かったな。」

沙羅は横目で忍を見ると、そっぽを向いたまま、「送ってくれたのは、取引先メーカーの社長さん。
すご〜く格好良くてね、趣味が車なんだって。・・・・残念ながら女の人だけど」

「だから、悪かったって・・・」忍は自分の的外れなやきもちがつくづく恥ずかしくなってくる。

「謝れば済むんだ?忍はそう思ってるんだ?へ〜え。」

別れ際の言葉をあてつけられる。

「だから・・・!」

売り言葉に買い言葉じゃ、いつまで経っても埒があかない。

沙羅がここに居てくれた・・・。これだけで、充分じゃねえか。

「――ほら、落とすなよ!」

忍が箱を沙羅に向かって放り投げると、「え、ちょっと・・・!」沙羅はガードレールから慌てて立ち上がり
それを受け止めた。

「・・・これ・・・?」沙羅は訝しげに忍を見る。

「もうすぐ、誕生日だったよな。・・・ちっと早いけどよ、一応、その、誕生日プレゼントだ。たいした物じゃねえけどさ。」
照れているのか、忍は拗ねているような表情をして、沙羅をまともに見ようとはしない。

「え・・・?」驚いて沙羅は大きな瞳を更に見開く。

「その・・・待ち合わせの前に買ったんだけど・・・やっぱり渡しておきてえと思ってさ・・・。
オマエが居るわけはねえと思ってたんだけどよ」

「忍・・・。」

「・・・その・・・、居てくれて嬉しかったぜ」

「・・・。」

沙羅は忍の目の前に立つとその箱を差し出し、「まだ、誕生日じゃないからね」と忍に返す。

「え・・・?」忍が戸惑い、返答に窮していると、

「誕生日の日は仕事も休みだし、何にも予定は入れてないのよね。」と沙羅はその戸惑いを打ち消した。

―――それは、わざわざ空けてたって事か・・・?俺が誘ってもいいってことだよな・・・?

忍が沙羅を誘う言葉を決めかねていると、沙羅は「・・・それにしても、誕生日覚えてくれてたなんて、
アンタにしては上出来じゃない?」とからかうように言った。

「沙羅、オマエね、その言い方はねぇだろ・・・」

「・・・すごく、嬉しいよ。」沙羅は、はにかんだような表情を見せ、忍を真直ぐに見上げると、
「ありがとう」と柔らかな笑顔でった。

「お、おう。」思いがけない素直な言葉と表情に、忍は相槌を打つのがやっとだった。

だが、次の瞬間に沙羅は「さあて、これからどうする?」と、見事にいつもの調子に戻る。

その落差に、やや肩透かしを食らわされた観の忍だったが、「そうだな、ハラもへってきたし、
なんか食いに行くか?」と気を取り直して言った。

「そうね。もちろん忍のおごりでしょ?」

「はいはい、そうさせていただきますよ。――じゃ、行きますかね。」

仕方ないとため息をついて先に歩き出した忍の後姿を、沙羅は微笑を浮かべながらしばし眺めていた。

「おい、何やってんだよ。行かないのか?」

「ああ、行くよ」

忍に呼びかけられ、沙羅は小走りに追いつくと、その左腕に自分の右手をそっと置いた。

驚いて自分に顔を向ける忍へゆったりと微笑みを返す。

「今日は飲み明かそうか。仕事のグチでも聞いてよ」

「そうだな、パーッとやるか」

忍は少し顔を赤らめ、沙羅に答える。

――言葉にしなくても分かってくれている。

その事実を確かめられたような気がして、忍は心が満たされていくのを感じていた。

どの店に入るかで揉めながらも、ふたりは人通りの疎らになった道を緩やかに歩いていった。



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