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博士を説得して、雅人を囮にすることが決まり、あたしと亮は秘書の振りをして
雅人の身辺に張り付くことになった。

「さぁて、あの唐変木はいつ現れるかしらね」

「どこで遊んでいるのかは知らないが、なるべく早くおいで願いたいもんだ」

式部重工本社ビルのエレベーターに、あたしと亮は雅人を挟んで乗り込んだ。

ガラス張りのエレベーターからは、ロビーの様子がよく見える。

ドアが閉まるとそれは瞬く間に足下に移動して、ふと、ダンクーガが初めて空を
飛んだ時のことを思い出した。

そういえば、あの時、舞い上がってた忍にキスされたっけ・・・。

「どうしたの?沙羅。一人でニヤニヤして」

「え…いや、何でもないよ。…それにしても・・・このビルでは一体何人働いてんの?」

雅人に突然指摘されて、慌てて話題を逸らす。

エレベーターから眺めるビルの中の様子は、どの階でも人々が忙しそうに行き交っている。

「どれくらいかなあ・・・よく分んないや」

「全く、いい加減な社長さんだこと。自分トコのビルだろ?」

「そんなコト言ったってさあ、関連会社やテナントやらあってわかんないよ」

「はいはい、わかったわかった。そんなにムキになんなくていいわよ。」

「ちえっ」

雅人は剥れたように軽い舌打ちをしたかと思うと、あたしの頭の先から爪先までを
無遠慮に眺める。

「それはそうと、沙羅のそういう格好、新鮮だな~。ね、亮」

「・・・・それは、素直にそう思ってるのか?雅人」

亮が怪訝そうに雅人の言葉に応える。

「もちろんそうだよ~。だって・・・沙羅の秘書姿なんて・・・」と必死で笑いを堪え
言葉が続かないようだ。

「うっさいわね。あたしだって好きでこんな格好してないわよ。」

あたしの今の格好といえば、黒髪のボブに、全く冴えない紺のスーツ。

そして、これでもかって言うくらいの流行遅れの黒縁メガネ。

亮もまた、至って地味なグレーの背広に短髪のカツラをつけて、よく化けたもんだと
思うくらい、普通のサラリーマンを装っている。

これは忍の目を誤魔化すことが目的ではなく(というかこんな手がアイツに通じるとは
全く思っていない)、雅人の周囲の目を誤魔化すことの方が狙いだ。

普段の格好で雅人にくっ付いてたら目立って仕方がないし、式部重工の社員にはあたし達の
顔を知っている人も少なくは無いから、要らぬ詮索や心配をさせたくない。

「亮だって似たようなモンじゃないか」

「まあ、そうなんだけどね~~~。でも、沙羅のそのメガネはやり過ぎじゃない?」

「沙羅の目ン玉がもっと小さかったらよかったんだけどな」

亮まで雅人と一緒になって笑いを堪えている。

「うっさいねえ。亮までヒトのことからかってさ。気分悪いよ」

「悪い悪い。まあ、自分の特徴を隠すのが変装のセオリーだからな。上出来だ」

「ありがと!お褒め頂き光栄だわ!!」

「まあまあ、沙羅~。機嫌直してさ、楽しくやろうよ、ね?」

そうこうする内に、エレベーターは社長室のある最上階へ到着した。

「おはようございます」

社長室の手前には秘書室があり、女性社員達が雅人に明るい笑顔を向ける。

「おはよ~う。玲子さん、きれいなピアスしてるね。すごく良く似合ってる。あれ?ミキちゃん、
髪型変えた?キュートだよ~。ゆきちゃんは新しいスーツだね。イメージにぴったりだ」

雅人は挨拶をする女の子一人一人に調子良く声をかけ、雑談を交わしたりしてなかなか
社長室へ進んでいかない。

「まったく・・・」

「ローラに言いつけてやろうかしら・・・」

雅人の後ろを付いて歩くあたしと亮は、そんな様子に顔を見合わせ深くため息を付く。

「ごめんごめん。本社に出勤した時の日課でさあ。ホラ、秘書課のコ達には何かと面倒を
かけることも多いし、コミュニケーションをとっておかないとね」

自分の背後であきれているあたし達の気配に気づいたのか、雅人は言い訳がましく笑った。

「さて、お仕事お仕事」

そして、漸く一番奥にある社長室にたどり着き、重厚な造りのドアを開けた。

 

 

「―――よう」

ドアを開けた瞬間、あたし達は全く予期しなかったその光景に息を呑んだ。

入り口正面の窓際においてある社長―――雅人の机に、黒い影が悠然と腰を下ろしていた。

「みなさん、お揃いってわけか」

逆光の影の中、冷たく光る鋭い瞳があたし達三人を捕らえる。

表情はよく見えないのに唇の端を歪めて笑っていると分かる。

「し・・・しのぶ・・・」

話には聞いていたが、その姿を初めて目の当たりにする雅人の声が震えていた。

声だけでなく、体中、驚愕と歓喜と戸惑いに満ちて震えていた。

「ホントに―――」

「ああ、俺だよ。藤原忍だ」

雅人の言葉に覆い被せるように『忍』は再び自ら名乗った。

「お前達に殺された、『藤原忍』だ―――!」

低く鋭く言うや否や、忍は雅人目掛けて飛び込んできた。

「!!!」

振り下ろす拳をあたしと亮が腕で受け止め、雅人を庇う。

一瞬動きの止まった忍目掛けて亮が足を蹴り上げるが、忍は軽々と跳んでそれをかわし、
再び対峙する。

「・・・お前が本物の忍だというなら、どうして俺達を狙う」

忍は不適な笑みを浮かべるだけで亮の問いに答えようとしない。

「なぜ、すぐに戻ってこなかった」

「・・・」

「――――あの事故から、どうやって生き延びたのさ」

堪らなくなってあたしも問いかけたが、やはり答えは返ってこない。

代りに、一層昏さを増した瞳をあたしへ向けた。

「・・・・沙羅・・・・」

声があたしを呼んだ。

「来いよ―――俺の元へ」

そして、緩やかに手を差し伸ばして言った。

「この一年、待ってたんだろ?俺のことを」

瞬間、心臓を鷲摑みにされたような衝撃が全身を駆け巡る。

「沙羅・・・・」

あたしを見る忍の瞳から、一瞬冷たい光が消えたような気がした。

瞳の奥に、かつてあたしを包んでくれた暖かい光を見たような気がした。

次の瞬間、あたしの足は無意識に忍へ向かっていた。

「忍・・・」

逢いたかったんだよ?

解ってる?

あたしがどんなにあんたに逢いたかったのか解ってるの?

零れ落ちそうになる言葉を必死で堪えて、一歩一歩忍へと近づく。

そして、手を伸ばし、忍の手に触れようとした、その刹那、

「―――!!」

あたしの足は忍の顔を蹴り上げていた。

違う。こんな男は断じて忍じゃない。

もう一人のあたしが頑なに拒絶していた。

「ぐはっ」

余程油断していたのか、無様に床に倒れこんだ。

間髪いれずにあたしは首を押さえ込んだ。

「ちっ、油断しちまったな」

言葉とは裏腹に全く悔しがっていないどころか、その表情では
あたしを嘲笑っている。

「あんた、何者なのさ。忍の全てを騙って何が狙い?」

「言っただろう?俺は藤原忍だって。正真正銘のね」

「ふざけないで。」

「ふざけてなんかいないさ」

忍はくくっと小さく笑って胸ポケットに手を伸ばした。

「!!」

「沙羅!!!」

「亮!雅人!秘書室の子達をはやく―――!!」

畜生!どうしてもっと早く気づかなかったんだろうか。

誰にも悟られずこの部屋に忍んで来ていたヤツだ。

何か細工をしているのが当たり前じゃないか!

亮と雅人は瞬間に部屋を出て秘書室へ向かっていた。

「!!!」

押さえつけていた忍に思い切り蹴り上げられて床に叩き付けられた。

「忍!!!」

体を起こすと忍は窓際で何かを手にして立っている。

唇の端に歪んだ笑みを浮かべてあたしを凝視していた。

「沙羅!早く来い!!!!」

「!」

亮のその言葉に弾かれて、あたしは転がるようにドアから飛び出した。

次の瞬間、爆音が辺りを包んだ。



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