帰さない



【1】


夕方、沙羅から突然のTEL

『あ、忍?今日の夜、ヒマ?飲みに行かない?』

声の調子で嫌なことがあったとすぐ判った。

『いいけど?』

『じゃあ、いつもの店で八時に』

一方的に用件だけ告げると、無機的に電話は切れる。

何かと理由をつけて遊びに誘ったり、飲みに行って仕事の愚痴をこぼし合ったりしているうちに
無闇矢鱈といがみ合うことはなくなったけれど、アイツとはただの友達のような、曖昧な関係になっていた。

 

行きつけのバーが、今日は臨時休業。

「この辺って、他に飲めるところあったっけ?」

「いや、知らなぇな・・・。」

繁華街でもなく、近くに心当たりもなくて行き先を見失っていると、「忍、あんたのマンションってここから近いよね?」

沙羅がとんでもないことを言い出す。

「そりゃ、遠くはないけどよ・・・」

「こうなりゃ、あんたの家でもいいからさ、飲もうよ」

「え?ちょっと待てよ。・・・・そりゃ、マズイっしょ」

「部屋が汚かろうが、なんだっていいわよ。酒は置いてあるんでしょ?今日は飲まなきゃやってらんないの」

俺の戸惑いの意味に全く気付く様子もなく、沙羅は俺のマンションに向かって歩き出した。

「おい、沙羅!」

「酒が足んなきゃ、その辺のコンビニで買っていくわよ」

沙羅が俺のマンションに来るのは初めてじゃない。

けど、それは亮や雅人と皆で集まって騒ぐ時や、なんかのついでに立ち寄った時の話だ。

夜になってひとりで俺の家に来るなんてことは今までなかった。

こんな夜に俺の部屋に来るって?

そんなに安全な男だと思われてるのか?

俺は沙羅の後ろを歩きながら、深くため息をついた。

 

「聞いてる?忍!」

リビングのローテーブルを挟んでソファに座り、沙羅は水割り片手に俺に突っかかってくる。

よっぽど腹を立てていたようで、その怒りを俺にぶちまけ、勢い良くグラスを呷る。

普段なら、いくら飲んでも顔に出ることなどないのに、今日はグラスを一杯空けたくらいで沙羅の頬は少し朱に染まっている。

その表情が妙に艶かしく感じられて、正直、落ち着かない。

「聞いてるさ・・・。それよりオマエ、大丈夫かよ?ピッチ早くねえ?」

「なにが?これくらいで酔っ払うわけないわよ。――おかわりくれる?」

空になったグラスを差し出す。

「ったく・・・。」

俺はなんとか平静を装いながら、沙羅のグラスにウイスキーを注ぎ足し、話に耳を傾けながら自分もグラスを空ける。

いや、正確には聞いている振りをしているだけだ。

ロクに話なんか聞こえてやしねぇ。

酒のせいか、沙羅はその潤んだ大きな瞳を無防備に俺に向けて話しかけてくる。

俺はその視線から目を逸らすことで精一杯だ。

無防備すぎるし、無頓着すぎるぜ、沙羅。

俺はこの状況に、少しイラついてきた。

・・・俺のこと『男』として全く意識してないのかよ?

オマエにとって俺は、ただの戦友に過ぎないってことか?

今までの、曖昧で安穏な関係。

確かに俺はこの関係を壊したくねぇ、そう思ってた。

けどさ、俺はオマエの、ただの『戦友』になりたいワケじゃねぇんだよ。

これから先、そんな苦い思いを続けていかなくちゃならねぇなら、ここで終わらせたって同じことだ。

「―――帰れよ・・・」

「え?」

俺は沙羅から視線を外したまま言う。

「何?」

「・・・帰れって・・・言ったんだよ」

「え?何よ、突然。そりゃ、押しかけたあたしも悪かったかもしれないけど、そんな言い方ってないんじゃないの?」

沙羅は語調を荒げ、突っかかってくる。

・・・コイツ、本当にわかっちゃいねえ。

「おまえさあ、わかってんの?」

「何が?」

「オマエは女で、俺は、男なんだぜ?」

「・・・え?」

「こんな夜に一人で男の部屋に上り込んで、何されても文句言えねぇぞ」

沙羅から顔を逸らさないと話せない。

コイツの顔を見ちまったら、自分が抑えられなくなるのは目に見えている。

「な、なに言ってんのよ。忍・・・」

沙羅にとっては思わぬことだったのだろう。声が戸惑っている。

もう、ダメになるならそれまでのことだ。

後のことは後で考えればいい。

「オマエさ、俺のことを男として意識してねえだろうから、気軽に家に上がり込んでんだろうけどよ・・・。
俺にとってオマエは『女』なんだよ」

「・・・・・」

沙羅の反応はない。

構わねえ。これで終わりなら、言いたいことを全部言っちまえば、思い残すこともないだろう。

「・・・オマエにとって俺はただの『戦友』なんだろうが、俺は・・・・オマエに惚れてんだよ・・・。」

半ばヤケで言い放って、俺は顔をあげて沙羅を見る。

沙羅は酔いがすっかり醒めた様子で、その困惑した表情が俺には痛い。

「・・・・わかったろ?・・・・・もう、帰れよ。」

再び、沙羅から視線をはずす。

沈黙が、部屋を覆う。

だが、沙羅がその場から動こうとする気配がしない。

怪訝に思って沙羅を見遣ると、大きな瞳に涙を滲ませて、俺を見据えていた。

「どうして、そんな言い方すんのさ・・・。あんた、自分のことしか見えてないよ。あたしの気持ちなんか、
これっぽっちも考えてないでしょ?」

――これほど――・・・拒絶されるとは思っていなかったぜ。



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