〔2〕


薫は葉月の研究助手の仕事に就き、4人とは研究対象ということも含め何かと行動を共にすることが多くなった。

そして、幼馴染みという気安さからだろうか、薫は基地内での不案内なことは何かと忍を頼るようになり、
その様子は他の隊員の目に触れて、二週間も経つと何処からともなく無責任な噂がたつに至っていた。

「ね、ね、どうなの忍?あのウワサは本当なの?」

昼食を終え、そのまま食堂のテーブルで忍が一息ついていると、トレイに料理を溢れんばかりに乗せた雅人が
その向いの席に座って開口一番に言った。

「ウワサ?」

「え〜、だからさ、忍が山崎博士とヨリを戻したってハナシ」

忍は口に含んだコーヒーを噴出しそうになった。

「バ・・・バカヤロウ!んなコトあるわけねぇだろ!・・・だいいち、ヨリを戻すも何も、ハナから何もありゃしねぇんだぞ」

「え?そうなの?てっきり昔のカノジョかと・・・」

「オマエまでウワサに乗せられてバカなこと言ってんじゃねえよ。」

「あはは。分かってるって。ちょっと言ってみただけだよ。でも、それにしては最初に会ったときの博士のあの勢いは
ただの同級生とは思えなかったけど?」

「・・・一度、斎木・・・山崎博士がタチの悪いヤツラに絡まれてる時に、偶然助けたことがあるんだよ。それで、まあ、
なんとなく話すようになってたまに一緒に帰ったりしただけだよ。だから向うもビックリしたんだろ。オマエの考えてる
ような事は一切ねえよ」

「へ〜え。でも、それって、カノジョとしては結構ぐらっときちゃうとこじゃないの?」

「いい加減にしろって。それからしばらくしてアイツは東京に引越して行っちまったんだからよ。なんも無かったって」

「え〜〜・・・。じゃあ、忍はどうだったのさ?山崎博士のこと何とも思ってなかったの?彼女なら絶対昔から美人だったろうし、
モテてたでしょ〜?」

「オマエなあ・・・。」雅人の執拗とも言える問いに忍は辟易して席を立った。

「そんなつまんねぇコトばっかり考えてんじゃねえぞ。」

「ちえっ」

せっかく面白くなりかけたのに・・・と残念そうな雅人の舌打ちを背に、忍は食堂を後にして飛行訓練のために発着場へ向った。

 

雅人に話した通り、忍が薫を助けたことが同じクラスながらも会話を交わしたことすらなかった2人の、親しくなるきっかけと
なったのだった。

それは、中学も3年になったすぐの頃だった。

当時、父親への反発から始まって、全てのことに反発していた忍にとって『学校』という存在は疎ましく、学校へ行かない、
授業に出ないこともしばしばで、そんな態度はある種の人の目には生意気に映ったらしく、校内で絡まれてケンカになることも
珍しくなかった。

そして、常に一人でどれだけ叩きのめされても怯まずに立ち向って勝利する忍の様子は、それらの連中には一種、驚愕の念を
与えていた。

その日も、例のごとく忍が授業をサボって適当な休憩場所を探していた時、校舎裏にある倉庫前で、校内でも性質の悪い輩として
知られている数人の男子生徒に、大きな袋を抱えた体操着姿の女子生徒が一人取り囲まれていた。

(あれは・・・。同じクラスの斎木じゃねえか)

男子生徒は過激なことを言ってはやし立てているようで、薫は俯いて今にも泣き出さんばかりに見えた。

「おい、やめてやれよ。」

突然の忍の登場に、彼らは少なからず驚いた様子だったが、その中で一番図体の大きい生徒が「なんだよ、藤原。文句あんのか?」と
忍に向って凄みをかける。

「やめてやれって言ってんだよ。つまんねーコトしてんじゃねえよ」忍もまた、それに対抗するように睨みつける。

そして、忍の迫力に気圧されたのか、彼らは捨て台詞をはくとその場を立ち去っていった。

「・・・ったく・・・斎木、お前どうしてこんなところに来てんだよ。ここは性質の悪い連中がよくタムロしてんだぜ?知らなかったのか?」
忍は立ち去っていった連中の背中を目で追いながら言った。

「授業で使う石灰の予備が無くなっちゃって取りに来たの・・・」

薫が抱えていたのはまさに石灰の袋で、よほど緊張していたのかその膝は小さく震えていた。

忍はそれに気付き、「大丈夫か?それ貸せよ。途中まで持ってってやるよ」と紙袋を取り上げた。

「・・・ありがとう、藤原君。」薫はようやく表情をほころばせて忍を見上げた。

 

(見た目よりも、気丈なヤツなんだよな・・・・)

忍は家族のことを語った時にみせた薫の笑顔に、助けた時の幼い笑顔を重ねていた。

あの時、怖い思いをして本当なら泣きたかっただろうに、薫は泣かなかった。

そして今は、両親の離婚、戦争、母親の死。そして生死すら分からない父と兄。

薫が辿ってきた状況は優しい物ではない。しかし、その哀しみやつらさを穏やかな微笑みに変えて彼女は耐えてきたのだろう。

(変わってねえんだな・・・)

忍はそんな薫の胸中を思わずにはいられなかった。

 

 

沙羅は訓練機で空中を疾走していた。

飛行した軌跡が白く細長い雲となって、青い空の中に美しい弧を描く。

しかし、いくら速度を上げて大空を駆け巡っても、沙羅の胸の中はどうにも晴れない。

その原因は、訓練生から聞いたあのウワサだ。

『山崎博士は藤原先輩の元彼女でヨリが戻ったってウワサですけど、本当なんですか?』

沙羅の気持ちを知る術も無い訓練生は、無遠慮に問いかけてくる。

『へえ、そんなウワサがあるのかい?忍に山崎博士は勿体無いけど?』

表面上、沙羅は関心がなさそうにその言葉を流した。

(そんな小器用なヤツじゃないよ)

もし、忍が薫に心を移してしまったのならば、あの真直ぐな、言い換えれば不器用なほど自分に正直な忍の性格上、
真っ先にそのことを沙羅に告白するだろう。

沙羅とのことを曖昧にしたまま、忍が他の女の元へ走るとは思えない。

しかし、頭ではそう考えているものの、沙羅の胸中は大きく揺れ動いていた。

それというのも、あの日、雅人が口にした『山崎博士って、もしかして忍の昔のカノジョかなあ』という疑問の真偽を、
未だ沙羅は確かめておらず、そのウワサを否定できるだけの確証がないのだ。

何でもない他愛のない話や、いつものような口喧嘩ならいくらでもしているのに、昔のことを気にしている自分を忍に
悟られたくないという思いと、その答え次第では、更に自分の気持ちがかき乱されるような気がして、どうしても聞けずに
いたのだった。

(彼女とかじゃなくても、好きだったのかもしれないし・・・・)

そんな考えが次々と頭の中に湧いてくる自分が滑稽に思えてきて、沙羅は決心した。

(こんなことばかり考えてても仕方ないよ・・・。忍に聞いてスッキリさせるさ)

そして、改めて思い知らされた事実があることにも沙羅は苦笑した。

それは、忍への想いだった。

(あたし・・・こんなにも忍のこと・・・好きだったんだ・・・。)

その存在が近すぎて、その価値を忘れかけていた。

(・・・ちゃんと、この気持ちも伝えよう・・・)

蒼天の中、ようやく沙羅は一つの道筋を見出した。

 

 

忍が管制塔を経て発着場につくと、丁度、沙羅が着陸した訓練機から降りてくる姿が目に入った。

梯子を使わず、コクピットから軽やかに地上に降り立ちヘルメットを取る。

その弾みで赤く長い髪が頬に降りかかりると、それを勢いよくかき上げる。

流れるような一連の動作に、忍は思わず立ち止まってその姿を見詰める。

(・・・さっきの雅人の話・・・。沙羅の耳にも入ってるよなぁ・・・)

やましいことは無いのだが、どことなく後ろめたい気分の忍は沙羅に薫とのウワサのことを弁解していいものか迷っていた。
下手に言い訳すると却って勘繰られそうで、かといってこのまま知らぬ振りを決め込むのは忍には無理なことだ。

(・・・斎木のこと、誤解のないようにちゃんと説明しねぇとな・・・)

忍は心を決めて沙羅の方へ向って歩き出した。

(それにしてもアイツ・・・。俺のことをどう思ってんのかな・・・)

かつて気持ちは通じ合ったはずだった。しかし、最近の沙羅の態度に、忍は少なからず戸惑いを抱いていた。

実際には忍の、今ひとつ気持ちがはっきりしないような態度も、沙羅の苛立ちを煽っている原因の一つであるというのに、
それにさっぱり気付いていない忍としては、沙羅に絡まれるような心当たりがないとして、つい対抗してしまう。

(それが良くねえのは解ってんだけどよ・・・。)

そして、素直に気持ちを現そうとしても照れが先立ち、かえって余計なことを口走って沙羅の機嫌を損ねてしまうことも
しょっちゅうだ。

(アイツに・・・うまく気持ちを伝えられたら、もっと楽しく付き合っていけるのによ・・・)

 

 

「・・・・忍」

沙羅は自分に向って歩いてくる忍に気がつき、少し緊張した。

つい先程、心に決めたことを意識する。

(聞かなきゃ・・・。そして、言わなきゃ・・・)

忍に問いかけるには、今が絶好のチャンスのように思われた。

「・・・よう」

忍は沙羅が自分に気付いたことを見とめると、軽く手を挙げて歩を進めていく。

真直ぐに自分を見詰めてくる沙羅から、視線をはずせない。

そして、忍は沙羅の数歩手前で足を止めた。

「・・・お疲れさん」

何か言わないと妙に気まずくて、とりあえず思いついたことを忍は口にした。

「・・・ありがと」その様子がぎこちなくて、沙羅は笑いを漏らす。

「・・・なんだよ」

「別に、ただ可笑しかっただけだよ」

「可笑しいって、どういう意味だよ」忍は不貞腐れたように言う。

「別に深い意味なんてありゃしないよ」

「なら、いいけどよ・・・」

そうして、なんとなく二人とも黙ってしまった。

何か言おうとして言い出しかねている、むず痒いような沈黙が二人を覆う。

ちゃんと、言っておかないと・・・

「あのさ・・・」

「なあ・・・」

相手を呼ぶ声が重なった。

「何・・・?」

「オマエこそ何だよ?」

「え・・・いいよ、忍から話しなよ」

「いや、あのさ・・・あのウワサ・・・聞いてると思うけどよ・・・」

忍がバツの悪そうに、目を逸らしながら口火を切った。

沙羅は一瞬息を呑んだ。瞬間的に正反対の二つの事柄が思い浮かぶ。

『誤解だ』と語る忍の姿と、『事実だ』と告白する忍の姿。

沙羅の手が、少し震えた。

「あの話は・・・・」

忍が続けようとしたその時。

忍く〜ん!」

薫の呼ぶ声が、後方から聞こえてきた。

振り返れば、管制塔から薫が二人の方へ向けて小走りに駆けて来た。

「よかった。飛行訓練これからよね?」

二人の元に着いた薫は少し息を切らせている。

「そうだけどさ・・・どうしたんだよ」忍が少し驚いた様子で尋ねた。

「新しい計器がやっと届いて・・・早速試すことになったの。計測前に被験者の波形とかのデータを入れなきゃいけなくて・・・
管制塔まで戻って欲しいんだけど・・。」

薫は忍を見上げて一気に言うと、「結城さんもお願いできますか?」と微笑みかける。

「あたしは今終わったところだから・・・」

「え・・・そうなの?残念だわ・・・。」薫は心底残念そうに言い、再び微笑を沙羅に向けた。「次の飛行訓練の時には是非お願い
したいから、ご面倒をおかけしますけど、私に教えてくださいね。」

そして、向き直ると「じゃあ、忍君、いいかしら?」と忍を促す。

「あ、ああ・・・」忍は遠慮がちに沙羅を見たが、沙羅がコクリと頷くと「じゃあ、また後でな」と言葉を残して薫と管制塔へと
戻って行った。

「しのぶくん・・・か。」

沙羅は二人の後姿を見送りながら小さく呟いた。



〜〔3〕へ続く〜


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