〔1〕


山あいの町、空気は澄み緑に彩られた山々は青い空にきりりと映えて、その清々しさを競っていた。

藤原忍が育った町は、そんな場所だった。

忍とその少女は、下校時間に顔を合わせた時などは、夕陽に染まった山の木々を眺めながら
共に帰途についたものだった。

「お父様の仕事の都合で、東京へ引っ越すの」

ある日、その少女はそう言い残すと、彼女に何も言えなかった忍の胸にちょっとした痛みを置き去りにして
山間の町を去って行った。

つややかな黒髪をもつ、物静かな少女だった。

忍が士官学校へ入学する前、まだ幼さが残る少年時代の、他愛の無い話。

それから幾年が過ぎただろうか。

激動の時間を乗り越え、それは故郷の山並みを嘗める夕陽の風景とともに、何気ない時に思い出す、
懐かしくほんのりと気恥ずかしいような香りのする記憶となっていた。

「てめえら、モタモタすんじゃねえよ」

シュミレーションルームで忍が画面に向かってがなり声を上げていた。

画面では訓練生の機が敵機と対戦しているが、かなり苦戦しているようだ。

「そんなんじゃすぐ敵にやられちまうぞ!敵は前ばっかりから来るわけじゃねぇ!おい、そこ!
逃げんなよ!てめえら男だろ!」

「ちょっと、忍。もっと戦術的なアドバイスをしてあげなよ〜」

後ろで椅子に座って見ていた雅人がその様子にいたたまれずに口を挟んだ。

「戦術なんてなあ、後からついてくるもんだ!自分がやられないようにするにはどうすりゃいいか、
体で覚えんだよ!」

「無茶苦茶だなあ、忍。そんなんじゃ訓練にならないじゃないか。もっと、ちゃんと教えてあげなくちゃ」

「実戦で士官学校で習った作戦が使えたかよ?え?雅人。」

食って掛かってくる忍を持て余し気味に雅人は一応反論する。

「それはそうだけど・・・、基本を知っとくのは大事だろ?」

「雅人、よしなよ。勘だけで戦ってきたヤツにそんなこと言っても時間の無駄さ。ほんと、これでよくリーダー
なんてやってこれたってほとほと感心するわ」

退屈そうに画面を見ていた沙羅は遠慮なくズケズケと言う。

「なんだと、沙羅。文句あんのかよ?」

「べっつにぃ。よくやってこれたなって褒めてあげてるんじゃないのさ。」

「おまえなぁ・・・」

沙羅の台詞に忍がかみつこうとした丁度その時、ドアが開いて亮が顔を出した。

「葉月博士が呼んでるぜ。皆来いってさ。」

 

 

研究室とは別に設けられている葉月の執務室へ4人は足を運んだ。

「忙しいところ、わざわざ呼び出してすまなかったね」

葉月が部屋の中央に置かれている応接用のソファから立ち上がると、葉月の向い側で入り口に背を向けて座っていた
女性もそれに合わせて立ち上がる。

「君達に来てもらったのは、こちらの方を紹介しようと思ってね。」

葉月はその女性を、ドアを背にして立つ4人の前へと促した。

少し小柄だが、濃紺のスーツを隙無く着こなし、顎の長さで切り揃えられた艶やかな黒髪が落ち着いた印象を与え、
忍達よりもやや年上のように思われた。

(・・・・?)

彼女がまるで探るような視線を忍へ注いでいるのに気がつき、沙羅が怪訝そうな表情をする。

忍といえば、そんな視線に気付く様子も無く、雅人は美人の出現に落ち着かない様子で、亮はいつものポーカーフェイスだった。

「こちらは精神物理学者の山崎薫君だ。今年から連合軍本部に勤務されているが、精神エネルギー利用の研究のために約二ヶ月間こちらに
滞在されることになってね。私の助手的なことをしてもらうつもりだが、必然的に君達が研究対象になるわけだから協力を頼みたいのだよ」

「協力っつったって、今まで博士がやってたことと変わりは無いんだろ?そんな気ぃ使わなくたっていいさ」
忍が葉月の言葉を受けて、了承の意を表す。

山崎薫と紹介されたその女性は、一歩前へ出て「山崎薫です。色々と勉強をさせて頂きたいと思っていますので、
よろしくお願いします。」丁寧に頭を下げる仕草に、気品と育ちのよさを感じさせた。

「僕、式部雅人です。」雅人が間髪いれずにメンバーの紹介を始めた。

「こっちが司馬亮。一応、紅一点の結城沙羅。」

「一応は余計なの」

「まあまあ。で、あの目つきの悪いのが、リーダーの・・・」雅人が忍をさして紹介しようとしたとき、薫が身を乗り出して
それを遮った。「藤原君でしょ?やっぱり忍君だったのね。」

「え?」

忍を含め、その場にいた全員が一斉に薫を見た。

「覚えていない?今は苗字が変わってしまっているけど、斎木薫よ。中学の時―――・・・」

「・・・!ああ!あの斎木か?東京に行っちまった・・・!」

忍が目を見開いて薫を見た。

「ええ!・・・よかった、覚えててくれたのね!嬉しいわ・・・!」

忍の前に歩を進めた薫は、心底嬉しそうな微笑をその整った顔に浮かべた。

 

 

葉月からの紹介の後、5人は食堂でコーヒーを飲みながらテーブルを囲んでいた。

「忍の中学の同級生なんだ〜。へえ〜。世間って広いようで狭いんだねえ」

雅人が忍と薫を交互に見て感心したように言った。

「コイツはいいトコのお嬢さんで、俺はまあ、悪さばっかりしてたけどな」

そう言って、忍は雅人の露骨な視線を避ける。

「しかし、その歳で博士号とはな。凄いもんだ」

「高校の途中からアメリカへ留学して、幸いなことに大学の課程も殆どスキップできたんです」

亮のその言葉に薫がにこやかに応える。

「同じ出身地でもこうも開きがあるとはねえ」

その言葉を捕らえて、沙羅が皮肉気に忍を見遣る。

「沙羅。どういう意味だよ!?」

その台詞に忍が噛み付く。

「言葉の通りだよ。かたや博士で、かたや後輩に作戦の指導もろくにできないんじゃねえ」

「なんだと?」

「まあまあ、おふたりさん。落ち着いてよ、ね」

慌てて雅人が仲裁に入る。

「あたしは落ち着いてるわよ」

「最近やけに絡んでくるじゃねえかよ、沙羅」

「別にあんたに絡んでるつもりなんか無いわよ。自意識過剰じゃないの?」

「おまえっ・・・」

「二人ともいい加減にしろ。お客さんの前だぜ。」

亮の台詞にはっとして2人が同時に薫の方へ顔をむけた。

二人の視線を同時に注がれた薫は一瞬たじろいだが、「本当に変わってないのね、藤原君は。」と、
こぼれんばかりの笑みを忍へ向けた。

「そろそろ施設の案内をお願いできるかな?」薫が忍を見て小首を傾げる。

「あ、ああ。そうだな。んじゃ、行くとすっか」

その表情に忍は少し照れたように慌てて立ち上がり、薫を促した。

「では、皆さん。また後ほど・・・。」

食堂を並んで出て行く二人の後姿を見送りながら、雅人がため息混じりに呟く。

「忍の同級生とは、ホントにびっくりだよね。」

「さっきのオマエの台詞じゃないが、こういうことがあるとつくづく世間は広いようで狭いと思うな」
亮も雅人のその言葉に相槌を打つ。

沙羅は何も言わず、二人の後姿に注視していた。

並んで歩く忍の後姿が、ぎこちないように沙羅には感じられた。

妙に落ち着かないし、言い換えればはしゃいでいるようにも見える。

忍の肩口ほどまでしか届かない彼女の背が、普段は感じられない忍の男臭さを妙に際立たせ、沙羅の知らない
忍の一面がその背中に浮かんでいたように思えた。

 

 

医務室や会議室。格納庫など広い基地内を忍が簡単に説明しながら案内していた。

「ホントはよ、基地内の見取り図を渡せれば早いんだけどさ・・・」

「判ってるわ。獣戦基地の見取り図なんかそうそう公開できるわけ無いもの」

バツの悪そうに言う忍に、薫が微笑みかける。

「・・・何年ぶりかしら。藤原君とこうして話をするのは」

「中坊ン時以来だろ?もう5年は経ってるんじゃねえか?」

「そうね・・・。たったそれだけの年月でいろいろなことがあったわね」

そう言った薫の表情に言い知れぬ寂しさが浮かんでいるのを忍は見逃さなかった。

「・・・そういや、苗字が変わってるけど・・・結婚したのか?」

「え?・・・いやねえ、違うわよ。・・・東京に出て暫くしてから両親が離婚してね。私は母方に引き取られたのよ」

「そうか。大変だったな・・・。」忍は慌てたように話題を変える。「そういや、あの兄さんは元気か?
俺が斎木と一緒に帰って来たのを見て、思いっきり怒鳴りやがったあのおっかねえ兄さんだよ」

当時、忍は気の荒いことで少々名前が知られていただけに、一緒に歩いているのを見かけた薫の兄が警戒して、
忍に怒鳴り散らしたことがあったのだった。

「あの時は嫌な思いをさせてごめんなさいね。」

「俺と仕事先で出会っちまったなんて知ったら、またブツブツ言うんじゃねえかな、あの兄さん。オマエのこと
随分可愛がってたしな」

忍がその時のことを思い出して笑った。

「・・・・兄の行方は・・・わからないのよ。」

「・・・え?」

「・・・両親が離婚して、兄は父方に引き取られたの。それからしばらくの間、兄とは連絡を取り合っていたんだけれど、
そのうちに途絶えてしまって・・・。多分父に止められたんだと思うの。・・・それであの戦争でしょ?未だに消息がわからないの。
もちろん父の消息もね。」

「・・・そっか・・・。悪いこと聞いちまったな・・・」

・・・で、おふくろさんは・・・?

そんな疑問が忍の頭をかすめたが、さすがに聞くことが出来ず、額に手をやって薫を見た。

そんな忍の表情を読んだのか、「ついでだから言っちゃうわ。母は戦争の時に亡くなったの。」と首をすくめて薫が言った。

「あ・・・」

「ごめんね、久しぶりに会ったのにこんな話で。・・・でも、兄がもし生きていてこの話を聞いたら、ホントに何言うか
解らないわよね。また藤原君を怒鳴りつけちゃったりして」

何と声をかけたらいいのか戸惑う忍を庇うように、薫は鈴のような音をたてて笑った。

忍はその笑顔に、薫の昔の面影を見出していた。

 

 

忍が薫と共に食堂を離れ、暫くしてから沙羅は射撃訓練のために射撃場へ足を運んでいた。

しかし、普段なら狙ったところをはずすことなど殆ど無い沙羅が、今は半分も的に中てられずにいた。

(やだな・・・あたし、何をこんなにイライラしてるんだろう)

沙羅は的に向けて構えていた銃を下ろした。

忍が食堂で言ったように、ここのところ沙羅が忍に突っかかっているのは、自分自身分かっていたことで、
簡単に言えば八つ当たりをしていたに過ぎない。

(アイツ・・・あたしのこと、どう考えてるのよ・・・)

以前、戦いの中で互いの気持ちを確かめ合ったはずなのだが、それ以後、二人の仲は明確な進展をみせていなかった。

些細なことで喧嘩をし、折角のデートが物別れに終わってしまうこともしばしばで、今の沙羅には忍の気持ちを推し
量ることができなくなってしまっていた。

二人の仲が曖昧な原因は、気持ちを素直に表現できない自分にもあることを沙羅もよく分かっているのだが、かといって
急に素直になれるわけもなく、そのジレンマが苛立ちとなって、ちょっとした拍子に忍へ浴びせられて悪循環に陥っているのだった。

しかし、今のこの苛立ちは、これまでと違う感情から湧き上がってくるものであることに沙羅は戸惑っていた。

『山崎博士って、もしかして忍の昔の彼女かなあ?』

食堂で二人が立ち去った後、いかにも興味津々といった様子の雅人の言葉が頭に浮かんだ。

『まあ、それでなくてもさ、幼馴染みが突然・・・しかも飛び切りの美人になって現れたんだもん、これは美味しいシチュエーションだよね〜』

(あたしの知らない忍を知ってるヒト・・・。)

二人が出て行った時の、忍の背中を思い返していた。

(まるで、あたしの知らない人のようだった・・・。)

沙羅は再び銃を構え、雅人の言葉を消し去るように躊躇無く引き金を引いた。



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